会長挨拶

皆さん「島津」の歴史は何年続いたかご存じですか?

鎌倉から明治に至るまで他氏の支配を許さず、「島津に暗君なし」と言われた世を指して700年と言う方も多いと思います。

しかし平安時代、いまの都城を中心に日向・大隅・薩摩の開墾がはじまり、太宰府の役人だった平季基(たいらの・すえもと)が島津荘(しまづのしょう)を開いた1026年を起点とすれば、2026年はちょうど1000年の節目にあたります。

ではなぜ島津は、1000年もの間、南九州を治めることができたのでしょうか。

もちろん地理的特性など様々な要因はあります。ただ意外にも、島津の領地では、領主と家来、武士と農民といった身分や立場を超え、皆が一丸となって痩せた土地を切り拓き、実りを分かち合ってきたらしいのです。そして、その「分かち合い」の精神こそ、南九州の土着の文化であり、島津千年王国がつづいた理由なのかもしれません。

私たちの母校の近くにも、そんな歴史を物語る場所があります。

北に霊峰霧島、南に桜島を望む校舎。しかし北西方向に見える小高い山に気をとめる人は、ほとんどいないでしょう。標高は169m。その山頂に、かつて比売之城(ひめのき)と呼ばれた城跡があります。南九州一帯で共同体的な暮らしを続けていた「隼人」の民が、西暦720年、律令制を強いる朝廷に反乱を起こし、1年半も籠城した場所です。

はるか縄文の昔に南の海から流れ着き、自然の恵みを分かち合う独自の暮らしと文化を守ってきた我々の祖先の歴史は、島津の時代も含め、支配する側とされる側に分かとうとする中央との戦いの連続でした。そんな孤高の歴史を今に伝える場所に母校は建っているのです。

皆さんどうでしょう。自分たちのふるさとや母校が、少し誇らしく思えませんか?

人間同士の生存競争が臨界点に達しようとする今、自分たちの起源に思いを馳せ、知恵を出し合い、みんなが幸せになれる世の中を創るきっかけにしませんか?

このサイトが、そんな場になることを願ってやみません。

一高会会長 茶園昌宏