アニメーター
篠原天球馬(20期)
知的好奇心から、高校で学んだことをさらに深めたいと思い、同志社大学に進学しました。
大学3,4回生の就職活動の中で、自分が何をしたいのか自問自答した時に、自主制作のアニメ作品に感化されました。絵を動かすアニメーションという表現方法に魅力を感じ、絵を真剣に描いてみたら思った以上に楽しかったこともあり、アニメの世界で働いてみたいと思いました。
大学を卒業したあと、アニメの専門学校に2年間通いながらひたすら絵を描き続け、新海誠監督の作品を手掛けているコミックス・ウェーブ・フィルムに入社しました。入社後は「天気の子」、「すずめの戸締り」や、他社の作品ですが「葬送のフリーレン」という作品に参加しました。7年在籍し、外の現場をもっと見てみたいということから、昨年(2024年)の9月から独立してフリーランスとして活動しています。
業界には幼少期から絵を描いている人が多い中、自分は大学卒業まで絵をほとんど描いてこなかったこともあり、ディスアドバンテージのあるスタートでしたが、アニメーターになるために自分に何が必要で何をすれば技術を伸ばせるかを考えながらひたすら絵を描き続けることで、いまのキャリアを積むことができています。
こういった自主的に課題を見つけ、一つ一つ学ぶ態度は第一高校での体験から育成された気がします。特に寮生活とニュージーランドへの3か月の語学留学は貴重な体験でした。
寮生活では、親から何も言われることない多少の自由を手に入れた半面、自分で考え、行動しないといけない場面が必然的に多くなりました。
またニュージーランドの語学留学では、ままならない英語力で異国に訪れ、ホームステイ先の家族や現地の人とコミュニケーションをとっていく必要に迫られました。もちろん最初はうまくいきませんでしたが、逃げ場もありません。これをいかにクリアしていくかが最初の課題でした。毎日寝る前にその日の会話を反芻し、あの時こういう表現ができたのじゃないか、次はこうしようといった反省を重ねることで、課題をクリアしていきました。そのことが、現地の友達と、たくさんのコミュニケーションをとりたいという思いに繋がっていったと思います。
これらの体験から得られた考え方は受験勉強の時にも役に立ちましたし、アニメーターになる時にも、また現在進行形でより良い作品を作るにはという終わりなき大きな課題に向き合う時にも役に立っています。
人生は常に失敗と成功の繰り返しです。そこに立ち向かっていく態度は、第一で学ぶ数年間で少しずつ育成されます。今やれることに全力で向き合い、いかに対応し、実行するかの地力をつける場所が第一なのではないでしょうか。

