ピアニスト 厚地麻美
学業とピアノを両立した高校時代
私は4歳からピアノを始めましたが、その頃はもちろん音大進学のためではなく、習い事の一つでした。続けることができた習い事がピアノで、気づけば毎日の生活の中心がピアノになりました。
周囲の多くが県立高校に進む中、私は「みんなと同じは嫌」という気持ちで第一高校を選びました。高校に入ると、朝5時に起きて練習し、学校へ通い、授業が終わるとすぐ鹿児島市内のレッスンへ向かう日々が始まりました。限られた時間を最大限活かし、学業とピアノを両立する日々です。
当時は野球部のマネージャーもしていました。堂前先生に試合のあとマイクロバスでそのままレッスンに送ってもらうこともありました。「いつ勉強していたの?」と聞かれますが、レッスンの待ち時間に教材を開き、夜遅くまで起きて少しずつ積み重ねていきました。好きだから続けられたというよりも、「やるしかなかった」というのが正直なところです。
恩師との出会い
武蔵野音大の先生に出会い「この人から学びたい」と思い、武蔵野音大に進学することを決めました。高校2年からはその先生に習うために東京へ月1回レッスンに通うようになりました。両親には大きな負担をかけましたが、「娘の夢だから」と背中を押してくれました。
武蔵野音大の4年間は、振り返れば人生でいちばん充実した時間でした。一人暮らしで自由にピアノを弾ける環境で、同級生と励まし合いながら、成長を実感できました。さらに高みを目指したくなって武蔵野音大の大学院へ進学し、楽曲分析の研究にも取り組みました。演奏だけでなく音楽を「学問として掘り下げる面白さ」に夢中になりました。大学院での研究が、現在の演奏表現の幅を広げていると思います。
鹿児島の文化振興への想い
今は鹿児島国際大学や第一幼児教育短期大学で幼保教育系の学生に音楽を教え、自宅レッスンと演奏活動の両面から音楽に関わっています。音楽漬けの日々は、とても幸せです。
演奏を通して音楽の魅力を社会に発信し、レッスンを通して次の世代へと受け渡していく。その循環こそが、地域文化を育てる力になると考えています。また演奏の場と学びの場を地域の中につくり続けることで、音楽が日常に根づき、世代を越えて共有される文化となっていく。その一助となれるように、今後も演奏活動と教育の両面から鹿児島の文化振興に貢献していきたいです。
現役生に伝えたいのは、やりたいことが見つかったら迷わず続けてほしいということ。道のりは厳しくても、続けた先に必ず景色が変わる瞬間があります。続ける人にだけ見えるものは、確実にあり、続ける中で得た経験は、必ず次へとつながります。「継続は力なり」です。

