世界を見て戻った原点 榎並聡子

田島本館支配人 榎並聡子

私は霧島市の小さな集落で育ちました。海外への憧れが強く、「世界ウルルン滞在記」を見ながら、いつか自分も知らない国へ行きたいと夢を膨らませていました。

第一高校を選んだ理由は、英語に強いこととホームステイ制度があると聞いたからです。中学時代には霧島市の青少年企画でマレーシアへの交換留学を経験しており、第一高校では3カ月のニュージーランド語学研修にも参加しました。初めて英語で会話が通じたときの感覚は今でも体に焼きついています。

高校時代は女の子4人でバンドを組み、ギター担当として文化祭やイベントで演奏しました。大塚愛さんやSCANDALさんの曲をコピーして、友だちと夢中で音を鳴らした時間は、第一での何よりの思い出です。

進学は、国際的に活躍している先輩が多い長崎県立大学シーボルト校を選びました。青年海外協力隊を研究する教授がおり、「世界に関わる勉強がしたい」と思ったのがきっかけです。国際交流学科で文化や世界の情勢を学びながら、大学でもまたバンド、そしてシアトルでのホームステイなど、とにかく楽しみながら学びました。「英語が好き」という気持ちはずっと変わりませんでした。

就職はまったく違う方向へ転がります。古舘プロジェクトの新規事業立ち上げに声をかけてもらい東京へ出ました。ものづくりの現場に関わる毎日は刺激的でしたが、ハードな環境もあり、長くは続きませんでした。

それから営業などの仕事を経て、コロナ禍のタイミングで鹿児島に帰ることを決めました。リモートワークが普及し、地元でも働けると気づいたこと、そして20年近く温泉旅館で働いていた母を助けたいと思ったからです。

今は妙見温泉・田島本館の支配人として、管理や配膳、清掃まで何でもこなしながら、夜はオンラインで東京の会社の採用面談の仕事もしています。地域の子ども向けに職業体験イベントを企画するなど霧島を盛り上げる活動もしています。海外への関心は今も消えていません。もし行けるなら、またどこかの国の子どもたちに会いに行きたい。でも今は、地元の温泉で必要とされていることが嬉しくてたまりません。

世界へ飛び出す経験も、地元に戻る選択もどちらも正解で、その場その場で自分が“やりたい”と思う方向へ動けば、ちゃんと道は続いていくと思います。