報道の現場から世界を見つめて 茶園昌宏(5期)

NHK鹿児島放送局
茶園昌宏 (5期)

生徒会、空手部の立ち上げ

鹿児島第一高校に入学したのは、まだ建学間もない1991年。校則はなく「Be Gentlemen」だけが我々に示された行動指針で、自由な雰囲気でした。ただ一方で「ある程度の規律は必要なのでは」という声もありました。そこで仲間と生徒会を立ち上げ、生徒自身で学校生活のルールを作っていこうと動きました。初の生徒会長選挙を行い、議論を重ね、まさに自分たちの手で学校の形を整えていったことは、とても大きな経験でした。

部活動も、自分たちで立ち上げました。私は音楽をやりたかったけれど楽器も人材も足りず、当時授業で習っていた空手を部活動に発展させることになりました。そこから鹿児島第一高校に空手部が生まれ、やがて新聞に名前が載るほど強くなりました。自分たちが作った流れが今も続いているのは嬉しいことです。

自分の目で確かめるためにロシア語を選択

大学は東京外国語大学のロシア語学科に進学しました。右翼少年だった私は「敵国」とされていた当時のソビエトにむしろ興味を持ち、「本当の姿を自分の目で確かめたい」と思ったのです。英語ではなくロシア語を選んだのも、「話せる人が少ない方が武器になる」と考えたからでした。

大学ではロシアの言語だけでなく、社会や経済、国際関係など幅広く学び、ロシアを軸に世界情勢を考える地域研究に力を入れました。

世界の最前線を観る

大学時代、NHKスペシャルのディレクターの補佐として国会図書館に資料を集めに行くなど、下積みを経験。その後NHKに入局し、ニュースや報道番組のディレクターとしてキャリアを積みました。

初めて大きな仕事を任されたのは、2001年の同時多発テロ後、世界が大きく揺れる中でのことでした。2003年には「クローズアップ現代」でイラク戦争をテーマに番組制作を提案し、ポーランドに取材へ行きました。当時の大統領や要人に直接インタビューできたのは、大きな財産です。以降も欧州・ロシアを軸に世界各国で取材し、戦争や国際関係の最前線を見続けてきました。

ロシア赴任と鹿児島への帰郷

2005年、父が倒れたことをきっかけに鹿児島に一度戻りました。一人っ子として家族を支える必要があり、海外赴任の道を断念しましたが、それでもロシアや国際社会への関心は持ち続けました。ロシアへの情熱を持ち続け、現地への派遣を希望し続けた結果、2018年にモスクワ特派員として赴任が決まりました。いよいよ夢が叶い、管轄地域である旧ソビエトの15カ国で本格的に取材を始めようとしていた矢先、組織の事情で帰国を余儀なくされ、ふるさと鹿児島に戻りました。

現地に行き、人と会うということ

ロシアは日本の隣国でありながら、まだ十分に理解されていない存在です。私は「知りたい」「自分の目で確かめたい」という気持ちでロシアに関わってきました。国際社会の動きを肌で感じることは、日本の未来を考える上でも不可欠です。後輩の皆さんに伝えたいのは、「世界は広い。自分の目で確かめてほしい」ということです。頭で考えるだけではなく、ネットで調べてわかった気になるのでもなく、現地に足を運び、人と会い、話をする。そうして初めて得られる理解があり、それこそが本当の知恵や知識として体に染み込む教養だと思います。