逆境を力に変えて ― 成果を生む仕組み作り 町田貴之(17期)

株式会社ハッピーライフ代表取締役
町田貴之(17期)

挫折の連続だった高校時代

中学生までは野球をやっていました。県内の強豪高校から特待生の誘いもありましたが、当時の担任の先生に「野球では飯が食えない」と、進学校である第一高校に進むことにしました。公立よりも空調が効いていて快適そうだったことが入学理由でした。中学までは成績も良く、野球もできましたが、高校に入ってからは勉強もスポーツも挫折の日々でした。高校3年生時は野球で一度も公式戦で勝てませんでした。学業も特待生として入ったのにクラス最下位の成績ばかりでコンプレックスを抱えていました。

迷走から生まれた大きな学び

野球部顧問であった体育教諭の堂前先生に憧れて鹿屋体育大学を受験したのですが受からず浪人生活へ。ところが浪人中はほとんど勉強せず、パチンコ屋さんに通う毎日。親から勘当されかけましたが、なんとか志學館大学法学部に進学しました。
大学時代も興味の持てる学びはなく、相変わらずパチスロばかり。けれども、統計を駆使して勝ち方を編み出したり、チームを組んで動いたりと、振り返れば「勝ち筋を見つける」経験をしていたと思います。この感覚は今の仕事にもつながっています。現在はまったく行きませんがパチスロの生涯収支はかなり黒字です(笑)。

カーディーラー営業職での快進撃と家業を継ぐ決断

大学卒業後は地元のトヨタカローラ鹿児島に営業職として就職しました。最初は飛び込みやポスティングで必死に実績を作り、1年目で新人全国トップの販売台数を記録しました。
順風満帆だった2年目のある日、父から「家業が人手不足で困っている」という連絡がありました。仲の悪かった父と一緒に働くことには葛藤がありましたが、最終的には母から強くお願いされて渋々トヨタカローラを退職することにしました。
最初は前任者の悪評の影響もあり、顧客から罵倒されたり焼酎を掛けられたりと毎日辛い日々。それでも挨拶回りを重ね、少しずつ信頼を回復しました。25歳から生命保険の販売にも取り組み始めると、成果が出始め、毎年海外表彰も受けるまでになりました。全国2位の販売件数を記録しニューヨークのタイムズスクエアに名前が載った時は嬉しかったです。

仕組み作りで成果を生む

30歳を迎える頃には「仕組み化」を意識し、住宅会社と提携して住宅購入者向けにライフプランニングを提供するモデルを作りました。今では社員教育や組織づくりに力を入れ、かつてパチスロで勝つために学んだ「再現性のある勝ち方」を営業の仕組みに応用しています。
会社の組織化も進み、現在県内で5店舗展開するファイナンシャルプランナー事務所に成長しました。
高校での挫折や大学時代の迷走も、今振り返ればすべてが糧になっています。逆境を力に変えてきたことが、今の自分を支えていると感じています。

逆境でも挫折しても精一杯努力する

高校時代は勉強や努力から目を背けていましたが、社会に出て生きるために必死に努力をした結果、何とか食べられるようになりました。でも、どう考えても学生時代に勉強できていれば苦労は半減したと思います。長いような高校3年間ですが、人生で見るとめちゃくちゃ貴重でコスパの良い3年間です。
どんな逆境でも可能性やチャンスはたくさんあります。挫折や悲観的になることが多いと思いますが、学生時代の悩みは10年経つとちっぽけなことです。乗り越えても良いし、逃げるという方法もある。目の前のことに集中して選んだ道で精一杯努力して欲しいです。