僧侶 平島露風
野球をやり切った学生時代
私は国分で育ち、姉が通っていたこともあって鹿児島第一中学校に進学しました。当時の自分にとって一番大きかったのは野球でした。中学では学校の部活ではなく、硬式クラブチームでプレーしていました。周りも本気で野球に取り組んでいる仲間ばかりで、自然と野球中心の生活でした。
高校も第一に進学し、野球部に入部。仲間と力を合わせて3年間続けました。強豪校ではありませんでしたが、最後までやり抜いたことは自分にとって大きな経験です。大学は東京の成蹊大学に進学し、野球部に所属しました。所属していた東都リーグのレベルは高く、上手くいかないことばかりでした。しかし、その中でも四年時には主将を務め、良い経験ができたと感じています。野球を通じてできた仲間とのつながりは、今でも大切な財産です。
サラリーマンから仏門へ
大学卒業後は損害保険会社に就職し、4年間サラリーマンとして働きました。もともと自分はスーツを着て働く普通の会社員になると思っていました。ただ、中高同級生である妻と結婚することになり、妻の実家がお寺であることから、結婚して僧侶となる道がうまれました。
悩みもありましたが、会社を辞めて僧侶の道を歩むことを決めました。
京都では3年間、仏教について一から学びました。僧侶の仕事はお経を読むだけではなく、自分自身を見つめ、どのように人と向き合っていくかを真剣に考えることが大切だと感じました。2025年に鹿児島に戻り、現在は義父が住職を務めるお寺で後継者として働いています。お寺では毎日お勤めがあり、たくさんのご門徒がお参りされます。また、こども園と幼稚園も同時に運営しており、子どもたちと関わることも日常の大切な仕事です。
コミュニティ拠点としてのお寺
実際に戻ってきて強く感じているのは、地域のつながりの深さです。お通夜やお葬儀では集落の人たちが集まり、お互いを支え合います。
また、お寺のこども園や幼稚園には、かつて通っていた人の孫やひ孫が通ってくることもあります。世代を越えて同じ場所に人が集まり続けるというのは、地域にとってとても大きな意味を持つことだと感じています。
お寺は地域の人たちがつながる拠点であると私は思っています。子どもたちが育ち、行事ごとを通して地域の人が集まり、世代を越えた関係が続いていく。その中心にお寺があるという形は、地方のコミュニティにとってとても大切なものです。
人口減少や高齢化など課題は多いですが、だからこそ地域の人が「お寺へ参りたい」と思える場所を守っていきたい。お寺を通して地域に少しでも還元し、次の世代につなげていくことが、自分の役割だと感じています。
何かを続けていくことで、新たなつながりが生み出せると感じています。後輩の皆さんにも、ぜひ自分の好きなことを大切に続けてほしいと思います。

